背信(2)

作者:佐藤@Celaeno
[2019/05/20(月)]
「初秋」

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 その夜、八幡たちは相馬佑司の人生の物語を聞いた。  父と母からのネグレクト、クラスの友人(と言えるのか)たちからの仕打ち、磯辺薫教諭から受けた優しさ、それら全てを感情に流されることなく聞いた。  別に、彼の境遇が酷くないというつもりは八幡にはなかった。八幡は佑司以上の不遇に身をかこった人たちのことを知っている。それに比べれば、佑司の不幸など物の数ではない。そう手厳しい人たちは言うだろう。しかし、人にはそれぞれ痛みがあるのだと八幡は思った。それは、あのソマリアの地で出会ったある男達に教わった言葉でもある。あまりにも多くの人々の不幸を観てきた。そして、あまりにも多くの人々の心の痛みに接してきた。だから、八幡は佑司の不幸を「そんなことくらいで」と無下にすることが出来なかったのだ。  「まあ、こんな話、そこら中に転がっていますよね」と佑司は自嘲気味に言う。流石に笑い話にはしない。いい兆候だ。こんな酷い話を、笑い話にまでするようになったら、本格的にセラピーが必要になるところであったと八幡は思った。  「そうかもな。だが、泣きたい時には泣いていいと思うぞ。でないと、取り返しのつかないことになる」  「取り返しのつかないこと?」  「ああ、そうだ。自分の気持ちに蓋をして、その蓋に重しを載せて、誰もこじ開けられなくなるくらいまで載せてしまって、自分自身でも自分の気持ちを取り出せなくなる。そうなる前に、誰かに助けを求めるべきだと俺は思う」  「・・・・・・」  「とにかく、今日は風呂にでも入ってもう休め。といっても、風呂ころから湧かすんだけどな」といって八幡は微笑みかけた。「すみません。風呂、お借りします」と佑司は俯きながら言った。  「なんだろ、この感じは」と佑司は風呂の中で独り言を言った。満天の星空の下、彼はドラム缶風呂に使っていた。もう7月だというのに、風呂桶の外はなぜかひんやりとしている。『泣きたいときは泣いてもいいと思うぞ』『あなたが悪いところがあるとしたら、間違った境遇に対して抗議をしなかったことかしら。なにも言わないと、永久に状況は改善されないわ』二人の言葉は、これまで会ったどんな大人たちのものとも違った。たしかに、磯辺教諭は優しかったが、佑司に過酷な仕打ちをする世間に対して強硬に戦おうとは言ってこなかった。優しすぎるのだろうか。ふとそんなことを思った。  「あがったか」居間に入ると、寝袋が二つ置いてあった。  「これは?ベッドで寝るんじゃないの?」  「ベッドは、うちのちょっと歳のいったお姫様様だ」  「八幡、聞こえているわよ」と隣の部屋から聞こえて来る。  「おお、こわ。そら、そっちがお前のな」と指し示した先には、もう二つ寝袋があった。  「二つづつ使うの?」  「ああ、二つづつだ。一つを枕代わりにするんだ。いきなり、寝袋だけじゃ練れないだろ。明日は雪乃は実家に帰るから、そうしたらお前はベッドで寝ろ」そう言いながら、寝る支度をしていた。  「ねえ、あの雪ノ下雪乃さんとはどんな関係なの?」  「ん?なんだ、惚れたのか。雪乃は誰にも譲らんぞ」  「べ、別にそんなことない。歳も離れすぎているし。綺麗だけど・・・・」  「まあ、綺麗な人を観て綺麗と言えるうちは、まだ大丈夫だな」  「それで、どんな関係なの?」  「お前も結構しつこいなあ・・・・。まあいい、話てやろう」そう言って八幡が聞かせた話は、その波乱万丈な人生に驚いた。特に、20代後半の数々の出来事は、八幡自身や彼の周囲の人間たちの有様に思わず絶句させられた。少年期も酷かったが、まだ牧歌的ともいえる。国境の向う側で繰り広げられた苦い経験を、この八幡という男はまるで他人事の様に淡々と語ってみせた。  「あんたに比べたら、俺なんか・・・・・」  「さっきも言っただろ。人の痛みや苦しみ、悲しみはそれぞれ違うのだと。決して等価ではないが、それぞれいやし難いものがある。自己憐憫に浸るってんでなく、自分を律しつつであるなら泣いて泣いて泣きはらしてすっきりさせるのもいいだろう。むしろそうするべきだ」そう言いつつ、天井の一点を見つめつづける。  「佑司、お前泣きはらしたら、明日からは厳しくいくからな。頑張れよ」と言い、八幡は佑司の方を見た。彼は八幡とは逆の方を向いて、その背中はときどき震えていた。 (続く)

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