依頼者

作者:佐藤@Celaeno
[2019/05/20(月)]
「初秋」

[--] [スクール・デイズ]

「息子を取り戻して欲しいの」と、比企谷八幡のかつての同窓生である相模南は、面倒くさそうな感じで言い放った。 外は初夏とはいえ既に蒸し暑い空気に包まれており、街行く人々の表情はそのあまりの蒸し暑さにうんざりといって様子であった。浅草橋駅の近くの雑居ビル内にあるこのオフィスもまた蒸し暑い。折り悪くエアコンが壊れていて、窓は開け放たれている。少しでもマシにしようと扇風機を回しているが、蒸し暑い空気が吹き付ける形になり、それがかえって状況を悪化させていた。 「状況はわかった。別れた旦那から・・・」 「『夫』よ」と不機嫌そうに言う。 「てか『元夫』、まだ正式に離婚はしていないけど」と相模南は言う。ちなみに、相模は旧姓でいまはまだ夫の名字である「相馬」であった。 「『旦那』とか『主人』とかって、別にあの男は私の主でもなんでもないのよ。なんで、そんな風に呼ばなきゃいけないのかしら」と更に不機嫌になる。 「まあ、じゃあ、君の『元夫』から息子である佑司君を取り返せばいいわけなんだな」 「そう、あの男から私の『可愛い息子』を取り返してくれればいいの」 「しかし、法的に問題はないんだろうな。言っておくが、略取誘拐に問われるようなことは願い下げだぞ」と八幡は言う。どう聞いても法的にギリギリアウトな案件に聞こえたからだ。 「親権はまだどちらのものでもないわ。母親である私が連れてきてといっているのだから、別に問題はないでしょ」 「そりゃ、君の考えであって裁判所がどう判断するかは別だ」 そう言いながら、八幡は手元の資料を捲った。 「相馬佑司、年齢15歳男性。千葉県立千葉南高等学校全日制普通科所属か。結構頭良いんだな」 「そう?南高じゃ並じゃなくて?」と言いながら、手元にあるバックからタバコを取り出して一本咥える。徐に火を点けようよする南を八幡は制した。 「すまん、うちは禁煙なんだが」 「あら、そうなの」と南。 「俺は吸うが、パートナーが煩いんでな」と八幡。 「そのパートナーさん、随分と融通が効かない方なのね。どんな奴なの?」 「融通がきかなくてご免なさい」と、戸口に立つ人影が言う。長い黒髪にスレンダーなボディーを包む質素だが綺麗な純白のスーツ、清潔感あふれるその立ち姿は見るものを惹き付けた。 「雪ノ下・・・雪乃さん?あなたが比企谷君のパートナーだったの」と、何やら歪んだ笑みを顔に張り付かせながら言った。八幡には、南がなにを考えているか大体想像がついた。『初夏とはいえ暑い最中、エアコンがぶっ壊れても修理することも出来ないしがない興信所事務所の事務員をやって可哀想に。こっちは、もうじき離婚するとはいえ、エリート銀行員の妻なのに。こんな男とつるむしかないなんてね』とか考えているのだろうと。些か、自分でも卑屈ではないかと思うが、まあ大体正しいから相模南の考えていることを否定できない。 ちなみに、エアコンは金が無くて修理出来ないのではなく、たまたま故障を起こしたのがつい先程のことで、依頼人が来るので守秘義務の観点からいって無関係な第三者を入れるわけにはいかないと判断して呼んでいないだけのことだ。 「なにか失礼なことを考えているようだけど、先ず私は事務員ではないわ。法務担当兼財務担当の社員よ。ここも歴とした法人で、外注とはいえ何社かパートナーを持っていて収入もそこそこある。多分、彼、比企谷君のほうが年収ではあなたの『元旦那』より何倍も上よ」 「法務担当?」 「私、弁護士資格も持っているの。そこの男が明日死んで居なくなってしまっても、一人で弁護士活動をしてその男の何倍も稼げるくらい勇名なんだから。あまり見くびらないで欲しいわ」 「おい、然りげ無く俺を貶めて俺の心を抉るのやめてくれない?それに『勇名』ってなに?お前、勇者かなにかなの?」 「あら、しっかり持ち上げたじゃない。こんな有能な女が、しがない興信所にいるのはあなたを誰よりも信頼して認めているのよ。十分に持ち上げているでしょ」 「はいはい。ありがとさん。で、その有能なパートナーさんはちゃんと資料には目を通してあるんだろうな」 「結論からいえば、かなり黒に近い灰色ね。やめた方がいんじゃない?」 「・・・・ちょっと、今更断るなんてありえなんだけど」 彼女、相模南が八幡の下に来たのは、息子である相馬佑司が夫の相馬祐介に連れ去られたから取り返してきてもらいたいからであった。多くの興信所や怪しげな人材紹介会社をまわってみたが、どこも法的に問題がありそうだと断ってきたり、法外な料金を見積もりで出してきたりした。そこで、風の噂できいた八幡の事務所に友人知人の伝手を辿ってやってきたというわけだ。 「しかし、全然変わっていないなあ・・・・」と八幡は呟いた。 「そう?嫌ねえ、もう38歳のオバさんよ」という相模南は、たしかに歳を食っていた。だが、精神の成長がそれに追いついていない。すぐに見かけだけで人を判断したり、人を自分より下に見下そうとする悪い癖は治っていなかった。かつての苦い経験は、相模南という女性になんの教訓も与えなかったのだろうか。しかし、外見だけは魅力的な女性になっていた。八幡はそう考えた。 「きっと、そんなことは言っていないと思うのだけど」 「おいおい。なんでもすぐ口に出すな」という八幡も八幡である。 「・・・・」資料を見つめながら八幡は感が込む。 「・・・・」雪乃はその様子を見て彼の考えていることを推し量ったのか口を開いた。 「比企谷君、あなた・・・・」 「わかった。とりあえず予備調査に入ろう。ただし、正式に請けるかどうかは俺が調査のうえ判断して決める。いいかな」 「ありがとう、助かるわ」と相模南は言って表情を崩して言った。 「いや、まだ正式に請けるとは言っていないけどな」 相模南が帰った後、八幡と雪乃の間には暫く無言の時が流れた。 「あなた、なにを考えているの?」 「この少年、昔どこかで会ったことがある。そんな気がしてな」 「それはそうでしょ。相模さんの息子だもの。似ているだろうし、あの人とは因縁浅からぬものがあるし」 「そういうことじゃない」と資料に添付された写真を見ながら言った。 「昔、こんな目をした少年が居た」写真の中の少年の目は、あまり生気が感じられなかった。まるで死んだ魚のような目、そんな目をした少年が比企谷の記憶にはあった。その少年は、辛すぎる経験から人を信じられずにいた。信じて想いをぶつけてみた相手には裏切られ、周囲の人間の無自覚な悪意に晒され、少年はいつか人を信じられなくなっていた。己を卑下し、自身を最底辺に位置づけ、自分で自分自身を見限っていた少年、それは比企谷八幡、彼自身のことであった。 「仕事に私情を持ち込むのはあまり感心しないわね。あなたの悪い癖よ」と雪乃は言う。その言葉にはどこか暖かみが感じられる。「あまり人に思い入れをするのは良くない。そんなことはわかっているさ」と言いつつ、八幡は資料を応接室のテーブルの上に放り投げた。写真の少年からは目を離さない。 「自分の価値基準で人を勝手に判断し、人に勝手に期待し、自分の思い通りにならなかったからと言って自分勝手に『裏切られた』といては傷ついて、そんなことの繰り返しは少年時代に卒業したつもりだ」と言い天井を見上げる。 「もういい歳した中年だしな」と自嘲気味な笑みを浮かべながら雪乃に目を向ける。 「ええ、お互いにね」と雪乃は見つめ帰す。 「だが、こういう目をした奴を放っておけるほど俺は成長しきれていない」といま一度資料を手に取って言う。 「なんでこんな目をするようになったのか。興味がわいてきた」という八幡の言葉をきいて、雪乃はため息ついてそして微笑みを返した。 「なら、やれば。うちには十分余裕があるしね」 「そのお言葉に甘えさせてもらうわ。早速予備調査だ。この少年の身辺を洗い直す。本格的に請けるかどうかは、それから決める」 (つづく)

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